会社案内

沿革

年次 イチフジネットワークの動向 業界の動向 社会の動向
1945年 久留米の進駐軍の慰安施設としてお金をメダルに換え,メダルを入れると玉がでる「メダルパチンコ」が登場。 終戦連絡中央事務局官制公布施行
1946年 パチンコ復活(小物、宝くじ等パラゲージものが主役)。小物というのは、初期の鋼玉を使った台で出玉が3~7個出るもの。 物価統制令公布施行(価格等統制令廃止)
1947年 現在と同じ玉を直接入れて打つカタチのパチンコ店が,函館に登場。「七五三」「小物」といわれるもの。トタン葺きで台数20台前後の規模。 衆議院解散(帝国議会終幕)
衆議院議員選挙法改正公布
古橋広之進、400m自由形で世界新記録
100万円宝くじ売出し、即日売切
1948年 10月富士商会 個人創業 正村竹一の「正村ゲージ」、長崎一男の「オール物」が考案される。この二つの発明は、その後のパチンコ繁栄の基礎を築いたといえる画期的なもの。 政府、GHQの経済安定10原則の勧告を発表
帝銀椎名町支店で12人毒殺死(帝銀事件、平沢貞通に死刑判決)
軽犯罪法公布
美空ひばりデビュー
1949年 玉貸料金が1個1円から2円になる。 東北本線松川駅付近で列車転覆(松川事件)
シャウプ使節団、税制改革勧告案を発表(全文発表)
湯川秀樹にノーベル物理学賞
1950年 現在の台の盤面のゲージラインとほとんど変わらない「正村ゲージ」が完成。現在に至るパチンコ業界発展の鍵を握った開発。
「オール20」出現。正村ゲージ改革進む。
第2次シャウプ勧告発表
千円札発行(聖徳太子肖像)
一僧侶の放火で金閣寺焼失
大都市でパン給食実施
1951年 この年、パチンコ流行始まる。全国打球業組合連合会(全遊連の前身組織)が結成される。18歳未満のパチンコ禁止される。警視庁が「パチンコの遊び方」を発表。 日本、ILOおよびユネスコに加盟
サンフランシスコ講和会議で対日平和条約・日米安全保障条約調印
八海事件
無着成恭編『やまびこ学校』刊
1952年 新東映映画「大当たりパチンコ娘」上映される(古川緑波、柳家金語楼)。全国規模のパチンコ展示会開催。店数3万軒を超す(第1次黄金時代)。 GHQ廃止
対日平和・日米安保両条約発効
国立近代美術館開館
1953年 「機関銃式」と呼ばれる「連発式」が登場。代表的な「オール20連発式」は玉の消耗律がこれまでの単発式の5?8倍に。だが,射幸心をあおるとの判断で2年間禁止に。業者の70%が転廃業に追い込まれた。
機関銃式登場。ゴト師、バイ人(景品買い)出没。パチンコメーカー600社。
NHK、テレビ本放送開始
水俣病患者第1号発病
1954年 モーターパチンコ現れる(連発式機械大いに人気となる)。ギャンブル性が強いとして連発式禁止となり、モーター式も1年間の猶予付きで禁止となる。 防衛庁・自衛隊発足
50銭以下の小銭廃止
第1回全日本自動車ショー
光文社『カッパ・ブックス』刊
1955年 「オール20」禁止となる。スマートボールがブーム。店が約1/3の1万軒に激減。刻印玉出現。 第1回東京国際見本市
後楽園ゆうえんち開場
1956年 役物考案相次ぐ(ジンミット、コミックゲートなど)。 石原慎太郎「太陽の季節」が芥川賞受賞
猪谷千春、オリンピック回転競技で2位
1957年 雀球出現。補給装置第1号が名古屋に登場。 江崎玲於奈、エサキ効果発見
5千円札発行
100円硬貨発行
NHK、FM放送開始
1958年 雀球出現。補給装置第1号が名古屋に登場。 1万円札発行。インスタントラーメン発売
1959年 東京・新橋に「遊技会館」できる。イヤホンでラジオが聴ける台が登場。 皇太子結婚式
NHK教育テレビ開局(日本教育テレビ、フジテレビ)
皇太子結婚パレード、テレビ視聴者推定1500万
この年後半から「岩戸景気」
1960年 「チューリップ」と「無人機」が考案される(無人機は一尺島を生む)。 東海道新幹線自動車国道建設法公布(東名高速道路)
国鉄、3等廃止。ローマ・オリンピック大会(金メダル4)NHK等、カラーテレビ本放送開始。
(米)大統領選で民主党のケネディ当選
1961年 業界が暴力団対策を本腰で始め、その効果が出始める。ゴト師もこの頃になると巧妙な手口になり、店とメーカーも対策を強化。 ライシャワー新駐日米大使着任
大鵬・柏木横綱昇進
1962年 盤面のデザインにファッションが繁栄されるようになる。パチンコの大衆化が定着し、第2次黄金期に入る。松竹映画「ちんじゃら物語」上映(伴淳三郎、ふらんきー堺)。 テレビ受信契約者数1千万突破(普及率48.5%)
堀江謙一、ヨットで太平洋横断
1963年 健全娯楽研究会設立される。加藤秀俊氏「パチンコ文化私観」発表。 新千円札発行(伊藤博文の肖像)
初の日米間テレビ宇宙中継
1964年 東京にセルフサービス式交換機が登場する。東京オリンピックにより、パチンコが海外に知られるようになる。連発式の登場から低迷期に入っていたパチンコ業界だったが,「チューリップ」の登場で盛り返し。 日本、IMF8条国に移行
東京、水不足で第4次給水制限実施、「東京サバク」流行語東海道新幹線開業
東京オリンピック大会
1965年 オリンピアゲームマシン登場。スロットマシンが登場。全国のパチンコ店舗数が約1万200店、また店舗大型化が一層強まる。景品単価500円。「雀球」も併設され,パチンコ店のオートメーション化が進む 朝永振一郎、ノーベル物理学賞
1966年 11月(株)富士物産設立 全国遊技業協同組合連合会の設立、正式に認可。東京・武蔵小山に女性専用コーナーができる。以後女性ファン定着。 戦後初の赤字国債発行
日産自動車・プリンス自動車合併契約調印(日産自動車として新発足、自動車業界再編成のはじまり)
1967年 浜松に女性専用ホール登場。景品に雑貨が用意されるようになる。 閣議、資本取引自由化の基本方針決定
ラジオ受信料廃止決定
1968年 駐車場付きホール現れる。台数自主規制、最高500台。 郵便物に郵便番号制度実施
川端康成、ノーベル文学賞受賞
東大全学部・東京教育大4学部(除体育学部)、入試中止を決定
この年、イザナギ景気3C(カー、クーラー、カラーテレビ)時代はじまる
1969年 百発式パチンコ登場。景品単価の最高限度額500円。 八幡・富士両製鉄会社、合併契約書に調印
東大でほぼ授業再開
東京都、老人医療費の無料化実施
1970年 全国店舗数9,500に減少。第2回業界再編成始まる(昭和40年には1万2000店)。東京国税局の脱税番付で、1位外科医、2位パチンコホール。 消費者5団体、カラーテレビの価格協定に反対、1年間買控えを決議
三島由紀夫、市ヶ谷の自衛隊内でクーデタを扇動、割腹自殺
1971年 景品の品揃えが充実する 東京証券取引所、米のドル防衛策でダウ平均株価史上最大の暴落(ドル・ショック2190円16銭の最低値)
地婦連、100円化粧品「ちふれ」をデパート、スーパーで売出す
1972年 8月(株)富士開発設立 郊外パチンコ店現れる。竹内宏氏が「パチンコ商法の秘密」発表。貸玉料1個3円に値上げ。イス島が定着し始める。アレンジボールが出現。郊外店もこの頃より登場し始める。 沖縄の施政権返還
沖縄県復活
太平洋戦争生残りの横井庄一元軍曹、グアム島で発見される
山陽新幹線、新大阪・岡山間開業
周恩来・毛沢東と会談(上海で米中共同声明)
1973年 電動式パチンコ誕生。景品最高限度額1,000円に。メーカーで釘打ちコンピュータ使用。大型店のほとんどがコンピュータを導入。売上や出玉率などをコンピュータがこなす。 ドル売り殺到で東京外国為替市場閉鎖
市場再開、円は変動相場制に移行、円急騰
建設省、年頭の全国平均土地価格、対前年比30.9%上昇(前年14.8%)
筑波大学発足
江崎玲於奈、ノーベル物理学賞決定
1974年 「開けチューリップ」という歌が大ヒット。電動役物登場。ボウリング場をパチンコホールに転換した大型の郊外店が出現。パチンコホール数は全国で1万店を超える。 小野田寛郎元少尉、ルバング島で発見される
佐藤前首相、ノーベル平和賞決定
1975年 10月プリンス(松永町)オープン
11月(株)丸富設立
12月マルハチ(三原市)オープン
日活映画「開けチューリップ」が上映。ファン層が、ブルーカラーからホワイトカラー、OL、主婦といった層に広がる。 南ベトナム臨時革命政府を承認
山陽新幹線、岡山・博多間開業
国勢調査、農家戸数500万戸を割る
ヴェトナム戦争終わる
1976年 10月一富士興業設立(資本金500万円)
12月スリーエイト(三吉町)オープン
スリーセブン(南本庄)オープン
全遊協の防犯映画第1作「ゆがんだ青春」。ボウリング不況から、郊外パチンコ店への転業増える。パチンコ人口3,000万人。 ロッキード献金事件表面化
新幹線「こだま」に禁煙車登場
1977年 テレビ付きパチンコ、スロットマシン付き、逆転パチンコなど発表される。景品最高限度額1,500円に。1万円札玉貸機が誕生。おしぼりやドリンクのサービス合戦。パチンコ人口3000万人といわれる。
だが,「スペースインベーダー」の流行でパチンコ業界は大打撃を受ける。
日本初の静止衛星「きく2号」打上げ
新宿の歌声喫茶「灯」閉店
ト小平再復活、江青・張春橋らの党籍剥奪
1978年 8月(株)富士物産、(株)富士開発を(株)一富士興業に合併(資本金1700万円)
本社 福山市三之丸町8-17
9月スリーシックス(神辺町)オープン
貸玉料1個4円に。玉の値上げは昭和47年の2円から3円に続いて、この年4円に。 北京で日中平和友好条約調印
1979年 パチンコの日を11月14日と制定。インベーダーゲームの大流行で、業界に大きな打撃。 第5回先進国首脳会議(東京サミット、石油輸入抑制など協議)
米中国交樹立
アフガニスタンでクーデタ、ソ連軍介入
1980年 景品最高限度額2,500円に。SANKYOからフィーバー機発表。電動役物としてスロットとデジタルが採用され,数字と図柄が揃えば大当たりとなる三共の「フィーバー機」が登場,人気に。同時期に平和の「ゼロタイガー」など羽根物機も登場。 閣議、「行政改革大網」
JOC、モスクワ・オリンピック不参加決定
東大寺大仏殿大修理落慶法要
1981年 セブン機、ブームになる。総売上推計が3兆円突破(競馬売上の2倍以上)。 修道女マザー・テレサ来日
福井謙一京大教授、ノーベル化学賞
1982年 3月ビッグワン(駅家町)オープン
12月スリーナイン(春日町)オープン
NHK銀河テレビ「本日開店」放映。パチンコを題材にした朝の連続ドラマ。全国店舗数1万1,000軒。 トヨタ自工と同自販が合併覚書調印(トヨタ自動車発足)
上越新幹線、大宮・新潟間開業
1983年 高額紙幣貸玉機、景品管理機、データ全自動集計機といったオートメーション化を促すコンピュータ内蔵の新製品続々登場。 東京地裁、ロッキード事件丸紅ルート公判で田中元首相に懲役4年、追徴金5億円の実刑判決
中曽根首相、田中元首相の「自発的辞職」を勧告
三宅島雄山大噴火
北海道の白糖線、国鉄ローカル線廃止第1号
1984年 1月スリースリー(松浜町)オープン パチンコの歌が初めて作られる。「パチンコ・マーチ」、ビクターより発売。初代「ミス・パチンコ」に1,200名の中から榎本明美さんが選ばれる。 冒険家の植村直己、北米大陸最高峰マッキンリー(6194m)の世界初の冬季単独登頂に成功、下山途中で行方不明
大津市での世界湖沼環境会議、「琵琶湖宣言」を発表
1985年 3月(株)久松屋買収(現在の(株)久松)
9月(株)一富士通商設立
10月本社ビル新築 福山市西町3丁目1-1に移転
12月(株)一富士地所設立
新風営法が施行,パチンコもパチスロも型式が決められ,保通協(保安電子通信技術協会)で検定試験に合格したものだけが市場に出るようになる。「回胴式遊技機オリンピアマシンショー展示発表会」開催。 新風俗営業法施行
科学万博つくば85開会式
男女雇用機会均等法公布
1986年 1月ツースリー(春日町)オープン
4月スリーワン(伏見町)オープン
12月スリーシックス新築(神辺町)
日電協による回胴式遊技機(約18万余)の基盤に対する「封印」作業。磁気カードを使用した「カード式玉貸システム」(ハウスカード)が、関係官庁の許可を得て発売開始。女性客専用ホール「レディース浜幸」が高知にオープン。第1回日本パチンコ文化賞を、日本社会党の土井たか子委員長(当時)らが受賞して話題になる。 自民党税制調査会、大型間接税導入・マル優廃止等の税制改正案決定
1987年 1月笠岡スリーセブン(笠岡市)オープン
1月スリーファイブ(里庄町)オープン
3月(株)久松屋を(株)久松に社名変更
9月(株)一富士興業 資本金3000万円に増資 
10月プラスワン(柳津町)オープン
全遊協が「景品持ち帰り運動推進」をテーマに、「パチンコ感謝デー」を開催。 NYの株式市場の影響で大暴落(下落率14.9%)
「ふるさと創生論」「間接税導入」の所信表明
1988年 3月(株)一富士地所 資本金2000万円に増資
(株)丸富を(株)アルファフジに社名変更
5月(有)フジランディック設立
7月(株)一富士興業 資本金9000万円に増資
8月プラスファイブ(新市町)オープン
台湾でパチンコブームとなり、新店舗が続々と誕生。平和工業株式会社が株式会社平和に社名を変更し、8月8日、業界として初めて株式を公開。警察行政の後押しで,パチンコのプリペイドカード会社が設立。
株式会社日本レジャーカードシステムが創立。日本遊技業経営者同友会が設立。
東京外為市場で1ドル=121円52銭の最高値を記録
小松川崎市助役、リクルート未公開株を取得、公開後の売却益1億円の取得判明
解職(リクルート事件の発端)
1989年 パチンコ業者の組合分裂。全遊協理事会で松波哲正氏が理事長を辞任、5月には全関東遊技業組合連合会と全日本遊技業組合連合会が相次いで結成される。社団法人日本遊技関連事業協会が設立。日本ゲームカード株式会社が創立。「パチンコ疑惑」が起き、衆議院予算委員会で集中審議行われる。 昭和天皇没(87)
「公共の福祉優先」を謳った土地基本法成立
天安門事件
1990年 1月プリンスを(株)久松に法人化
7月笠岡スリーセブン閉店
9月第一回私募債発行 1億5千万円
12月ぴあ91(笠岡)オープン
東京流通商業組合が設立、事業部門として東京ユニオンサーキュレーション(TUC)設立。風営法が一部改正され、景品単価上限の1万円への引き上げ、大当たり出玉を2,400個とするなどの条文を警察庁が発表。全遊協解散。 大阪で国際花と緑の博覧会開幕(2312万6934人入場)
(ソ)マクドナルド店、モスクワに開店
1991年 6月第二回私募債発行 20億円
7月第三回私募債発行 10億円
8月第四回私募債発行 10億円
10月第五回私募債発行 20億円
法人成25周年記念で全社員にブレザー支給
11月ビッグワン(駅家町)閉店
12月スリースリー改装オープン
カラオケハウス ジアス(伏見町)オープン
ゲームセンター セイタイトージアス(春日町)オープン
ぴあ92(駅家町)オープン
SANKYOが株式を店頭公開。パチスロの不正改造が問題化。都遊協が「暴排モデル構想」を開始し、金賞品構想を始める。 政府、PKO法案を臨時閣議で決定、衆院に提出
米を中心とする「多国籍軍」、イラク空爆開始
(ソ連)ゴルバチョフ大統領、辞任を表明し、ソ連邦消滅
1992年 3月ゲームセンター セイタイトージアス(松浜町)オープン
8月(株)一富士興業 (株)一富士地所を合併(資本金1億1千万円)
9月マルハチ(三原市)閉店
11月スリーナイン改装オープン
12月ゲームセンター セイタイトージアス(松永町)オープン
全日遊連が法人化。暴力団新法が施行されたことを受け、業界では同時期「全日本遊技業暴力団排除総決起大会」を開催。CR機登場。
アレパチ(アレンジパチンコ)の「アレジン」が大ヒット。
続いて保留連チャン機の「麻雀物語」が大ヒット。カード対応機種(CR機)が登場,以降「CR花満開」が連チャン機自粛の中で大ヒット。「CR黄門ちゃま2」の登場で,本格的なCR機時代に突入。これによりパチンコ業界は活況を呈するが,連チャン機はギャンブル性が高いという理由で自粛が繰り返される。
ブッシュ米大統領来日
経済企画庁発表の第3四半期のGNPマイナス1.6%
暴力団対策法施行
米、スペースシャトル「エンデバー」打ち上げ、日本人初の毛利衛搭乗
1993年 3月(株)福山ビッグアメリカンショップ(テナント)オープン
11月第六回私募債発行 1億円
12月ぴあ91(笠岡市)隣地に貸店舗をオープン
プラス1(柳津町)前に貸店舗をオープン
北海道・静岡で遠隔操作摘発され、許可取り消し処分受ける。連チャン機の製造販売自粛へ。警察庁がパチンコ営業に関する調査委員会「国民生活の安全を守るための施策を研究する会」を設置。マースエンジニアリング、株式店頭公開。日本パチンコ学会、設立。 竹下元首相佐川事件で証人喚問。皇太子殿下結婚の儀。宮沢内閣不信任案可決、第40回衆議院議員選挙で自民か半数割れ、55年体制崩壊。反自民連立内閣成立、細川首相。田中元首相死去。一世帯3人を割る。
イスラエルとPLOオスロ合意に調印。
北海道南西沖大地震M7.8、死者176名、不明68名。
1994年 9月(株)アルファフジを譲渡
10月プラスツー(松永町プリンス跡)オープン
12月7&8開店(南本庄777跡)
カードユニット不足。廃棄台の不法投棄が問題化。遊技産業経営者同友会、発足。自民党「レジャー産業研究会」設立。オータ、30店舗の営業許可取り消し処分受ける。 衆議院選挙比例代表制導入。村山内閣発足、自衛隊合憲の見解。こどもの権利条約批准。NATO軍ボスニア・ヘルツゴウ゛ィナ空爆。ネルソン・マンデラ南ア共和国大統領就任。1ドル99円。
大江健三郎ノーベル賞受賞。向井千秋シャトルで宇宙へ。
1995年 2月新卒者採用スタート
6月ローズ&ピア(新涯町)オープン
11月スリーファイブ(里庄)売却
11月社長 長鋪 毅 逝去にともない長鋪 毅一郎 社長就任
カード導入店が1万店を突破。東京・渋谷に、台数1,090台の「マルハン・パチンコタワー」オープン。岡山で店ぐるみの変造カード使用が摘発。 阪神淡路大地震発生、震度7、死者6432名、家屋倒壊11万7439棟。
1ドル79.75円。東京、大阪知事選でタレント候補当選。営団地下鉄猛毒サリン事件起り、教祖麻原彰晃ら逮捕、オウム真理教へ破防法適用着手。
WTO発足。
1996年 3月ローズビレッジ(南本庄)
スーパー銭湯 ゆらら、カラオケ マジックローズ オープン
テナントビル ローズプラッツ(昭和町) オープン
4月ローズパーキング(昭和町)オープン
日工組に公正取引委員会の立ち入り調査。プリペイドカードの変造・偽造が社会問題化する。社会的不適合機として70万台の撤去開始。富山に2,000台の巨大パチンコ店がオープン。 村山首相退陣、橋本龍太郎首相就任。東京三菱銀行発足、資金量53兆円。
原爆ドーム世界遺産登録。エイズ患者と国和解、大学、製薬関係者逮捕。狂牛病の人間への感染と英政府発表。世界初のテロ対策会議開催。
1997年 8月第1回ゆららカップ開催 市場規模が、初の前年割れ。公正取引委員会がパチンコ機メーカー等に排除勧告を出す。平和とSANKYOが東証一部上場。 ペルー政府、リマの日本大使館公邸占拠事件でゲリラ14人を射殺。アイヌ文化振興法、環境アセスメント法公布。持ち株会社解禁。山一証券経営破綻、負債総額3兆円超。温暖化防止京都会議開催。65歳以上の高齢者人口15歳未満人口を超える。北野武監督『HANA-BI』ベネチアで金獅子賞。労働党トニー・ブレア英首相就任。東京世界一暮らしにくい都市へ。香港中国に返還。
1998年 8月第2回ゆららカップ開催
11月ツースリー改装(簡易)
業況悪化のためリストラが始まる。ダイナムにパチンコ店経営企業初の労働組合が結成。 大蔵省不良債権を76兆円超と発表。自民総裁選で小泉純一郎破れ小渕内閣誕生。北朝鮮弾道ミサイル発射、三陸沖に着弾。スピードスケート清水宏保世界記録達成。大関若乃花横砂昇進、兄弟横砂誕生。米英イラク攻撃。パレスティナ西岸からイスラエル軍追加撤退。
1999年 8月第3回ゆららカップ開催
12月スリーワン改装オープン
日工組がCR第一種の内規を変更。スロットマシン設置台数が初めて100万台突破。 ダイエー経営不振、中内功会長退任。JOC東海事業所で臨界事故発生、半径10キロ以内の住民31万人に屋内退去避難勧告。尾道今治間西瀬戸自動車道開通。世界人口60億人。
2000年 8月第4回ゆららカップ開催
12月ゲームセンター ジアス3店舗閉店(笠岡、春日、松浜) 12月ローズガーデン(神辺町)オープン
ICカードシステム対応のCR機第1号が都公安委の検査に合格。「パチンコ・パチスロ産業フェア2000」)に53,000人が来場。
パチンコ中古機流通制度が発足。
ホールは海物語3タイプ一色になる。
パチンコ中古機流通制度が発足。
森首相就任するも不用意発言続き支持率低下。三宅島噴火、住民島外へ避難。イチロー大リーグと契約。大阪に女性知事誕生。白川英樹ノーベル化学賞受賞。
メキシコ71年ぶりの政権交代。米大統領選開票作業で5週間混乱、ブッシュが当選。ローマ法王十字軍、異端尋問、反ユダヤ主義の過ちを認める。金大中、金正日会談、共同宣言。
2001年 8月第5回ゆららカップ開催
12月スリーシックス改装オープン
ゲーム性を重視の第2種(羽根物)が4年10か月ぶりに登場。
遊技機メーカーなど7社共同出資のPCカードシステムの新会社「(株)ジョイコシステムズ」が発足。
日遊協、「遊技機産業不正対策情報機構(PSIO)」を構築、日遊協に事務局を置く。
パチスロ130万台突破、AT機が全盛
『CR天才バカボンV』と再販された『CR海物語』が人気を独占。
2002年 8月第6回ゆららカップ開催
12月プラススリー(東尾道)オープン
警察庁「風適法等の解釈運用基準」を改正、金地金等の賞品提供も可能になる。
日電協がパチスロ機の自主規制を決定、メーカーによる射幸性の高い問題遊技機の回収始まる。
パチンコ新内規で最少賞球数「4」、確変プラス時短等が認められる
21世紀基準機が登場する。第1号機はSANKYOの『CRFウォンテッド』など。
2003年 5月第1回エコフィッシング大会開催
8月第7回ゆららカップ開催
12月ツースリー改装オープン
プラスセブン(尾道市プラザ跡)オープン
内規改正で100%確変に突入するタイプが認められ、『CR男!浜幸日本一』が発表される。
警視庁から規則改正案(「風俗営業の規制及び適正化に関する法律施行規則」及び「遊技機の認定及び型式の検定等に関する規則」の一部改正案)が公表される。
2004年 5月第2回エコフィッシング大会開催
8月第8回ゆららカップ開催
12月プラス1全面改装オープン(松永町)
新規則が1月に公布、7月1日より新規則が施行。新規則第1号機の『CRおそ松くん』が発表される。
2005年 5月第3回エコフィッシング大会、松永カントリークラブゆらら杯開催。
8月第9回ゆららカップ開催。
12月333新築グランドオープン。
改正風営法が11月7日に公布。「許可の基準」(風営法第4条)も同時に改正され、遊技機の無承認変更や未成年入店では、営業許可自体が取り消しもある厳しい内容。
2008年 7月全日本社会貢献団体機構 顕彰事業部 組合員ホール部門 青少年健全育成事業 優秀賞受賞
2010年 12月スリーナイン新築グランドオープン
2012年 12月7&8リニューアルオープン